箱崎町の祭〜富岡八幡宮・例大祭〜 

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箱崎町の祭半纏についての説明はこちらです

 

参考文献:
平成5年 祭り箱崎 (箱崎まつり睦会編)

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箱崎の神輿(行徳・第十四代浅子周慶作)
浅子周慶作 箱崎神輿

箱崎の神輿は、大正年間を代表する総彫り神輿の傑作
厚い欅に丹誠込めて彫り込んだ見事な龍が屋根まで入っている
胴体にも凝りに凝った彫りが深く刻まれ、連合渡御で水をかけられると一層重厚さを増す
浅子作の特徴である大きな鳳凰が、担ぎ手の「ワッショイ」のかけ声と共に大きく羽ばたく 

 

箱崎町箱四町会 大神輿 仕様書

謹製 昭和十一年八月吉日製作
神輿師 十四代 浅子周慶 市川市本行徳

一、二尺五寸 屋根破風型総彫白木神輿

一、この神輿は、昭和十一年に発注し水の中に欅の厚木を入れて枯らし、
  三年有余の歳月を掛けて完成致しました。
  厚い原木を使用し彫が深く台輪二尺五寸の割には貫禄十分の神輿です。

一、特に龍の眼には九十六個の十八金が嵌め込んであります。当時の有志の
  方々が金に糸目をつけずに発注した心意気が偲ばれます。

 

富岡八幡宮 神幸祭鳳輦渡御
富岡八幡宮 神幸祭鳳輦渡御

連合渡御の前日には、神幸祭鳳輦渡御(しんこうさい ほうれん とぎょ)が行われます。
鳳輦とは屋形の上に金銅の鳳凰をつけた輿のことで、富岡八幡宮の御神体を渡御する時に用いられます。
三年に一度の本祭の年には、この御鳳輦に神様をお遷し申し上げて氏子の町内を巡ります。
神様が御神徳を身近にお授け下さる、大変重要な祭儀なのです。

 

鳳輦渡御 舞姫の舞
鳳輦渡御 舞姫の舞

 

 

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氏子(うじこ) 鎮守の神(その土地やその土地の者を守る神=氏神(うじがみ))が守ってくれる地に
住む人々のこと。深川の富岡八幡宮の周辺に住み、八幡様を信仰している人々が住む町
の一つが日本橋箱崎町です。

ここで言う深川とは、旧東京市深川区(のちに旧城東区と合併して江東区となります)
の界隈を指します。富岡八幡宮は、江東区の深川界隈(門前仲町、木場、深川、枝川
など)と、日本橋箱崎町、新川の氏神様ということになります。
氏子総代(うじこ そうだい) 氏子中から選ばれ、神職と協力して神社の維持に尽力する人のこと。
祭事や町内行事に精通し、人脈にも秀でていることから、町内会長や町内の年長者から
選ばれます。

総代は各町内で祭事の総責任者を務めるほか、富岡八幡宮の氏子総代が全員集まって
祭事の重要事項を決定する会議(総代会)に出席するなどの役目を担っています。
箱崎町はなぜ富岡八幡宮の氏子? 東京・中央区の日本橋地域(蛎殻町、人形町、浜町、東日本橋など)の多くの町会は、
千代田区神田の神田明神の氏子です。同じ日本橋地域に位置するのに、なぜ箱崎町だけ
深川の富岡八幡宮の氏子なのでしょうか?

現在の箱崎町は隣の蛎殻町や中州と陸続きになっていますが、昭和40年代半ばまでは
川で隔てられていました。(川を埋め立てて首都高箱崎インターチェンジと東京シティ
エアターミナルを建設したのです) 実は箱崎町は江戸時代初期に埋め立てられて造ら
れた島だったのです。

また、富岡八幡宮を中心とした深川地区は、江戸寛永年間に当時の江戸湾に浮かぶ
永代島と呼ばれた小島と、その周辺に点在した砂州を埋め立てて造られたと伝えられ
ています。江戸時代においては日本橋、京橋地区の一角(箱崎町と新川)と深川地区が
永代島を中心とした砂州埋め立て地域として共通の地域性を持っていたと思われます。

こう言ったことから、箱崎町と新川が深川の八幡様の氏子となったと言われています。

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浅子周慶(あさこしゅうけい) 江戸時代から千葉・行徳で神輿を制作する神輿店で、当主は代々浅子周慶を襲名、
現在の当主は16代目です。千葉、東京、神奈川など数多く神輿制作に関わっています。

第十六代浅子周慶作の神輿として、富岡八幡宮に納められている一の宮神輿(平成3年
制作)、二の宮神輿(平成9年制作)などがあります。
大神輿(おおみこし) 大人神輿(おとなみこし)とも言います。町神輿のうち、比較的大型の神輿です。
連合渡御に参加するのは、この大神輿です。

【関連用語】子供神輿(こどもみこし)
小型で比較的軽量の、子供でも楽に担げるようにした神輿のこと。
子供向けとは言っても、緻密に彫りが刻まれ、鳳凰が羽ばたいている立派なものです。
箱崎町には、箱崎・北新堀と箱四の各町会で1基ずつ、計2基の子供神輿があります。

駒番(こまばん) 駒番は連合渡御の順番で、神輿の上部に取り付けた駒札(将棋の駒の形状)に書かれ
ています。1番から順に番号が振られ、4番と42番を欠番として、最後は56番となり
ます。本祭りの年に抽選で順番が決まり、その結果は駒番表(大相撲の番付表に似て
いる)として発表されます。
ちなみに箱崎町の神輿は、2005年の連合渡御では12番、2002年は19番でした。

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例大祭(れいたいさい) 深川・富岡八幡宮の例祭(神社で行われる儀式のうち、最も重要な祭礼の一つ)は
毎年8月15日前後に行われますが、3年に一度の鳳輦渡御が行われるお祭りを
例大祭と言います。
例大祭の年、氏子の町内会では、大小あわせると120数基の町神輿が担がれます。
大神輿54基を勢揃させての連合渡御こそが例大祭のメインイベントです。
例大祭を本祭り(ほんまつり)とも言います。
例祭(れいさい) 例大祭と例大祭の間に挟まれた2年間に行われるお祭りが、例祭です。
例大祭に負けず劣らず、賑やかなお祭りです。大神輿の連合渡御こそ行われません
が、各町会ごとに町神輿が担がれたり、山車を引いたり、夜は盆踊り。
いつもは富岡八幡宮境内に安置されている二の宮大神輿が担がれたり、子供神輿に
よる連合渡御が行われたりと、実は例大祭より華やかなのかも…?
例祭を陰の祭(かげのまつり)と言うこともあるようです。
渡御(とぎょ) 神輿が担ぎ手によって担がれ、氏子町内を渡り歩くことです。
連合渡御は、複数の神輿が連なって渡御することで、一層の盛り上がりを見せます。

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神酒所(みきしょ) 本来は、神様に供えたお酒(日本酒)を奉る小屋のことですが、神輿を一時的に安置
する場所(御仮屋=おかりや)の意味としても使われることもあります。
神酒所の設営後は24時間体制で見張り番を置きますが、当番の人に深川祭のことなど
聞くと気さくに答えてもらえます。
(時と場合によっては、お酒やビールを振舞ってくれるかも?)
直会(なおらい) 神様に供えた御神酒や神饌を、祭典終了後に祭典に関わった人達で共にいただくこと
です。神様に供えたものをいただくということは、神様の御霊のこもったものをいただく
ことになります。
祭礼活動をする人達は、その準備段階から祭典終了時までを心身を清めた特別な状態
としますが、直会を開くことで、その特別な状態から平常の状態へ戻す(直す)のです。
鉢洗い(はちあらい) 祭礼後の反省会を兼ねた飲み会のこと。
お神酒やお供えを盛るために使用した什器(鉢)を洗い片付ける、がその語源と言われ
ています。

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華棒(はなぼう) 神輿の担ぎ棒の先端部分を言い、江戸文字の町名が入った金属製の飾りが付いて
います。掛け声を発する時も、前へ進むにも一番目立つ場所です。
担ぎ手にとっては一度は担いでみたい場所ですが、競争率も激しいようです。
ここを担げば、「この神輿はいただき!」という感じになりますよ。
半纏(はんてん) 神輿を担ぐ際に着る、襟・背・腰回りなどに町名などの標識を染め抜いた木綿製の衣服
のこと。法被(はっぴ)とも言います。
"袢纏"、"袢天"とも記する場合もありますが、深川祭ではもっぱら"半纏"を使います。
差す(さす) 神輿を上空へ向かって高く上げる担ぎ方の一つで、神輿(神様)を「差し上げる」の意味
です。深川八幡宮の前、各町会の神酒所の前など、渡御の見せ場で神輿を差します。

【関連用語】させさせ!
神輿を高く差し上げる時の掛け声。

【関連用語】差し切り
永代橋など、比較的長距離を差したままの状態で渡御すること。

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宵の宮(よいのみや) 祭礼の前日に行われる、前夜祭のこと。
宵宮の内容は町会によって様々で、演芸があったり、夜店が出たりします。
箱崎町の宵の宮では、もっぱら隅田川テラスでのビアパーティが開かれます。
ぜひご参加下さい。
ワッショイ(わっしょい) 深川祭で神輿を担ぐときの掛け声。
その昔、神様がお出ましになるのを知らせるため「和上同慶」と掛け声を発したそうで、
この和上がワッショイに転じたとか。
また、「和を背負う」(=平和を担ぐ)が変じて、掛け声になったとも。

 

 

富岡八幡宮 提灯
深川・富岡八幡宮 提灯

 

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